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【由来等】 楠原踊は、16世紀初頭、守護の大内義正に従い上洛した甲宗八幡神社の宮司大神頼安が、某公卿により作られた地謡と狂言を持帰り、雨乞い踊りに取り入れたのが始まりといわれている。現在の門司港地区が楠原郷と呼ばれており、「楠原踊」の名が付いた。
【活動の歴史】 1862(文久2)年に雨乞いで踊られたことが記録に残っているが、江戸時代末期か明治時代から途絶えていた。昭和6年に吉永卯太郎禺山氏が発表した楠原踊に関する書籍と、踊子の記憶を基に、復興に励んだ。昭和31年に楠原踊保存会が結成され、昭和36年から保存会会員による、甲宗八幡神社秋季大祭での奉納が行われるようになった。
【芸能を行う理由・目的】 雨乞い祈願
【舞・踊りの特徴】 「八幡宮のうた」は田植えの仕草を、「国もゆたか」は神への祈りを表現している。「松もいろそへ」は京踊りである。「思案橋」は筑豊地方の盆踊りで踊られることが多いが、楠原踊では先祖供養の意味は持たない。現在は、地謡4曲が奉納されている。かつては「行事の事立」から始まり、10曲の地謡と、間に9番の狂言が奉納されていた。かつては、踊子の輪の中心で「中踊」5名が踊りの目安となっていた。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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