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【由来等】 曽根の神事は、1841(天保12)年に綿都美神社(竜王社)の龍神祭へ「桃燈山」(現在の提灯山のことと思われる)5基を出して盛大に祭りを行ったことが始まりといわれており、当初、流鏑馬・神楽なども行われていたという。綿都美神社は曽根新田の鎮護の神で、この春祭りに行われる開作神事あるいは単に神事と呼ばれる。小倉藩は18世紀半ばからおよそ1世紀にわたり藩の財政改革のため、数々の新田・新地改革を行ってきた。なかでも曽根新田は、家老の犬甘兵庫が、1794(寛政6)年に大里村(現在の大里地区)庄屋の石原宗祐に工事を命じたもので、85歳の高齢にもかかわらず約85ヘクタールにもおよぶ広大な新田を8年がかりで完成させたといわれる。龍神祭は1814(文政2)年、小倉藩が神社を勧請して以来おこなわれている。
【活動の歴史】 神事は4月15日の「鉦おろし」(神社で太鼓と大鉦を打ち鳴らして祭礼を知らせる)の行事から始められる。5月3日は御神幸が行われる。曽根新田の飾山笠が地区はずれの神田橋まで、他6地区の飾山笠を迎えに行き、曽根新田を先山に7基が、昔からきめられた順序で神社までお上りするもの。祭典の後、逆の順序で神田橋まで送り出す。20日は高さ約4mの提灯山を各地区で造り地区を連行する。29日に「汐かき」を行ったあと、提灯山笠を取り除いて幟山に替える。さらに5月1日には人形飾山に切替えて綿都美神社まで神幸する。お祓いを受けた後、今度は逆の順序でお下りをする。かつて全地区で「提灯山笠」「幟山笠」「飾山笠」へと3回替えていたが、現在は、曽根新田地区の山笠がこの伝統を継承している。
【芸能を行う理由・目的】 地区の安穏、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 なし。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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