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【由来等】 地元では「ろくや」とよばれている。1774(安永3)年、吉志郷の農民は、大干ばつに見舞われ、笠松に五穀神を祀り雨乞いをしたところ、功験があり、以来、この神恩に報いるため、疫病除けの神を祀る吉志天疫神社に五穀神を合祀した。雨の降った7月26日には、雨乞いのときに法印より教えられたといわれる花傘鉾を作り、これを供えて神恩を感謝し、豊作を祈る祭りをなすようになったと伝わる。
【活動の歴史】 二十六夜祭は、慈雨に恵まれた7月26日に始まったが、現在は五穀豊穣を祈る春の祭事となっている。花傘鉾の作製は、昔は世話人の指導のもとに、青年男女が作成していた。最盛期には家ごとに提灯が灯され神輿には花傘鉾4本と幟がお供し、笛、太鼓、合わせ鉦の道囃子で総勢100名を越す行列であったという。現在は花傘鉾作製は原吉志、下吉志の各老人会、町内会で2本作製、今日に至る。御旅所となった笠松の大木は、1896(明治29)年の台風で倒れ、現在は蓋松碑が建つ。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、雨乞い
【舞・踊りの特徴】 なし。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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