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【由来等】 40万石の大名になった細川忠興公は、1602(慶長7)年小倉城の築城を始め、1617(元和3)年城下町繁栄策として祇園社を創建した。翌年に豊前国一帯が干害、疫病、さらに大水害に悩まされたため、旧暦6月10日から3日3晩、故郷の京都祇園を模して華麗な祭りを催した。これが祭りの起源だといわれ、今日まで385年の歴史を誇る。
【活動の歴史】 祭りが形を整えたのは江戸時代といわれ、1700(元禄3)年には祭り山鉾、踊り屋台、人形山車などの練りを主体に、鉦、笛、太鼓が、祭り囃子を奏でていた。ところが幕末の長州戦争で、山車、屋台の大半が焼失した。明治から大正の初めにかけては、太鼓が主役となり、隔年に「廻り太鼓」と「据え太鼓」を行っていた。現在は、太鼓山車の数も年々増え、飾りも一段と華麗になってきた。以前の開催日は7月10日〜12日であったが、昭和62年以降は7月第3土曜日をはさむ前後3日間に改められた。
【芸能を行う理由・目的】 無病息災、天下泰平、護国安全、商売繁盛、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 なし。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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