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【由来等】
飛幡八幡宮は、建久年間(1190〜1199)、枝光村宮田山に八幡大神として鎮座し、枝光・戸畑・中原3村の産土神として崇敬されていた。1579(天正7)年に現在の鳥旗町に遷座、1920(大正9)年に現在の浅生に遷移された。御社名は平成7年7月に飛幡八幡宮と改称し、現在に至っている。山笠行事は1802(享和2)年筑前国戸畑村内に疫病蔓延し、有志が祭神須賀大神に平癒祈願したところ終息に向かった。そこで1803(享和3)年から解願行事として山笠を作り祭りを行ったと伝えられている。飛幡八幡宮、菅原神社、中原八幡宮が合祀するスサノオノミコトを祀る祭りである。
【活動の歴史】 この祭りは、江戸時代末期から明治初期にかけてほぼ今の形に決まった。第二次大戦で一時中断、昭和22年復活し、毎年7月13日から3日間行われてきたが、昭和63年から7月の最終土曜日を挟む前後の3日間となった。提灯山笠の競演会は中日に行われている。昭和47年から運営組織を統一し、戸畑祇園大山笠振興会が中心となり運営に当たっている。日本万国博覧会、ハワイなどにも出かけ、その素晴らしさを紹介している。平成15年は戸畑祇園祭が始まって200年である。それを記念して、黒崎祇園山笠、小倉祇園太鼓、若松五平太ばやし、大里電照山笠が特別参加し、第50回目を迎える戸畑祇園大山笠競演会に賑わいを添えた。
【芸能を行う理由・目的】 悪疫退散
【舞・踊りの特徴】 昼間の飾り山笠が夜は提灯山笠に変わる。明かりは「ロウソク」であり、提灯が燃えることもある。提灯山の高さが10m近くになる日本最大規模の提灯山笠である。祭りのスタートは6月に各山に「宿」が設けられ「座固め」があり、準備、山の組立てなどが行われる。飾り山から提灯山笠に切換える時は全12段の提灯山の最後の5段を一気に上げて(五段上げ)提灯山を仕上げる。この作業は競演会の見せ場の一つである。3日目の楽日は地区内を運行して夜には御霊返し(お上り)を行い「狐おとし」を行う。狐おとしは狐が憑いたようにのぼせた山笠気分をすっぱり切替える行事として各山ごとに行われる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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