木屋瀬祇園宿場祭
【こやのせぎおんしゅくばまつり】

木屋瀬祇園宿場祭
【開催場所】
北九州市 須賀神社
【開催日】
7月12、13日に近い土曜日、日曜日
【指定】
指定なし
【アクセス】
筑豊電鉄木屋瀬駅より徒歩5分

【由来等】
 木屋瀬の須賀神社は明治維新までは、祇園社と呼ばれており、木屋瀬祇園山笠が伝承されている。神社境内の参籠殿の奉納絵馬により起源をたどると、約200年(文化・文政)にまで遡ることができる。その源流は博多祇園山笠(福岡市博多区)だと考えられ、明治初年までの山の高さは9mに達し、かなりの重量があったと伝えられている。また、獅子頭を先頭に神輿、山笠と並んで町内を回る御神幸本来の姿の巡行も行っていた。その後明治末には車輪を付けた屋台造りの曳き山笠となり、大正初期の電線架設で高さが制限されて現在の山は4m程の高さになっている。囃子は太鼓だけであるが、勇敢な祇園太鼓のさばきは、黒田藩の陣触れ太鼓の流れを継承しているという。  

【活動の歴史】
 毎年7月の12日、13日に近い土曜、日曜に行われている祭りで、本町6町の赤山笠と新町7町の青山笠の2基が町内を練り歩く。鞍手郡誌には「木屋瀬祇園祭は群中盛大な祭典で他村の壯丁の加勢も受けて盛んに舁いた」とある。昔は青年会、男が中心であったが、現在は女性も参加する。祭は夏越しの祭りとして行われ、前夜祭(茅の輪くぐり)正祭と2日間にわたる。囃子は大太鼓、小太鼓だけで、明治10年代から山笠の屋形の中にはいって打つようになった。山笠は子供も曳き、お休み所では盛大な尾お接待がおこなわれる。そこでは家庭を守る女性の力が発揮される。山笠は木屋瀬の最大の祭りで山笠を曳く事による結束と上下関係、人と人との一体感が培われる祭りになっている。

【芸能を行う理由・目的】
 怨霊退散、疾病退散

【舞・踊りの特徴】
 2基の山笠はそれぞれの町内を練り回り、前夜祭の21:00に「奉納」、正祭の9:00に「宮入」と称して、勢い太鼓の響きに合わせて神社の中に走り込むのが見所とされている。走り込む道幅は狭く、直角に境内に入るさまは危険を伴うが祭りのハイライトになっている。境内にはいった山笠は何度も回されて所定の位置に入り停止する。
民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。



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このホームページの情報は、2002年11月から2004年3月の間に行った取材を元に掲載しています。
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