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【由来等】 福島八幡宮は1661(寛文元)年開基。はじめ、氏子は放生会には家々に神灯を飾っていた。やがて山鹿の大宮神社の燈籠を譲り受け飾るようになる。1744(延享元)年より、自前の人型の燈籠が飾られた。動くものではないが、「燈籠人形」の始まりと古文書は伝えている。1772(明和9)年、浄瑠璃作者福松藤助(松延甚左衛門)が大阪より帰郷し、人形を動かす工夫や、当番町制の上演に力を貸した。以後、動く人形が登場し、それが主役となり、燈籠は照明役に転じた。1779(安永8)年に久留米の五穀神社の祭礼に動く「燈籠人形」の初興行の記録がある。これらはすべて氏子町の工夫の秘芸であった。
【活動の歴史】 幕末、当地方きっての賑わいと人気を集めていた「燈籠人形」も1844(天保15)年の久留米藩の大倹令により以後禁止された。1871(明治4)年復活したが、世情の変化、戦争などにより次第に上演が困難になり、昭和18年上演中止となった。戦後昭和23年に復活し、現在は「保存会」の主催により上演されている。最盛期8〜10台あった屋台は現在2台を残すのみであり、出し物四外題を交互に上演している。この間、昭和27年に福岡県の無形民俗文化財に指定され、続いて昭和52年に国は「八女福島の燈籠人形」として重要無形民俗文化財に指定した。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、家内安全
【舞・踊りの特徴】 からくり人形は、「横遣い」「下遣い」と呼ばれる人形方の手によって、細かな所作で活き活きと舞う。中でも「送り渡し」と呼ばれる、人形が舞台の左右に移動する動きは、左右の横遣いの人形方が熟練していないと難しい、八女の燈籠人形特有の技である。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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