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【由来等】 古来住民は江神社を中心として「七夕祭」や盆おどりを行ってきた。踊りは「盆おどり」と「七夕おどり」の2つがある。盆おどりは「うちわ踊り」ともいわれ、右手に「うちわ」を持って踊るもので、長崎から大川市若津を経て当地紅粉屋に入ったといわれている。古老の話では踊りの方は300〜400年前の江戸時代初期、歌の方はこれより遅く250年前頃の江戸時代中期に伝わったということである。この踊りは老若男女を問わず子供も交じって円陣を作り、前進後退両手を上下しながら、歌い手に合わせ踊るもので6月15日の祇園祭や盆の13日〜15日まで踊りあかしていたそうである。もう一つの「七夕おどり」が今の四つ竹おどりである。七夕の夜に江神社の境内で踊っていた。孟宗竹を12〜15cm程度の長さに切り、更に4つに割り、それを2枚づつ左右の手に指をはさんで握り、歌に合せて「カチカチ」と音を立てながら踊るのである。いつごろから始まったかは不祥であるが、四つ竹は中国の「歌板」にあたり江戸時代長崎から移入されたものといわれている。これと同じようなものが中国、タイ、ミャンマ、沖縄などに見られるそうで、もともと同類のものと思われている。
【活動の歴史】 踊りは盆おどりと共に江戸時代から太平洋戦争前までは、村をあげて踊り継がれていたそうで、特に大正末期頃が盛んであった。男は女装、女は男装して村境まで踊り歩き、最後に江神社に帰り境内の「方屋」の周りに円陣を作り、夜通し踊っていたといわれている。この2つの踊りに共通していることは「くどき」と言って、長い物語りを歌にして、はやし言葉でつないで、おもしろおかしく歌い継がれていることである。この2つの踊りも第二次大戦後、一時衰えていたが、公民館並びに有志の呼びかけにより昭和53年に復活した。現在は民謡保存会を設け、歌を継承し保存会を核として、老人会、婦人会が中心となり、若妻会や子供会などの参加を得て、盆の14日に歌い踊り継がれている。
【芸能を行う理由・目的】 町民親朴
【舞・踊りの特徴】 なし。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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