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【由来等】 雲助道中の開始時期については、幾たびの大火により資料は焼失し不明。現存する資料によれば次の年以外は毎年挙行されている。雲助道中は、7代久留米藩主、有馬少将頼僮を祀る「少将祭り」の前夜祭で行われているもので、有馬少将が若津に来た時、上町の若者が籠を担いだことに由来する。また、頼僮公はとても酒好きで、酒屋の前まで来ると必ず籠を止めて酒を飲んだため、お供の庄屋は大変困ったという。雲助道中で、勢いよく「庄屋が迷惑どーんとせ」という掛け声とともに長持ちを落とすのもそこから来たと伝わる。
【活動の歴史】 昭和18年もしくは19年は第二次大戦により若者が激減していたため休止。昭和34年は祭典前の大火で休止。
【芸能を行う理由・目的】 商売繁盛、家内安全
【舞・踊りの特徴】 庄屋の先導により、「長持ち」を担いだ15名の雲助衆の後に途中交代する雲助衆35名が続き、町内を練り歩く。道中、氏子方の軒先で、タンス長持唄の元になった「雲助唄」を一節唄い、「庄屋が迷惑どーんとせ」という掛け声とともに長持ちを地面に叩き付ける。「雲助唄」を一節唄っていく。役名の庄屋は、雲助の古参者がなる。庄屋の黒ひげは、庄屋宅へ雲助衆が迎えに行った際に、庄屋に墨塗りしたものである。庄屋の付き人は、雲助の古参者がなる。雲助は、雲助役は、以前は上町の20代男子のみで行っていたが、現在は人手不足もあり、地区や性別もこだわらず希望者を参加させている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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