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【由来等】 稲童神楽の歴史は、農耕の合間に素人歌舞伎を興じていた稲童出屋区の人々が、明治中期に地元に古くからある安浦神社に奉納するため、下稗田神楽講の定村安太郎を招き神楽を教わったことから始まる。1月1日の他、5月上旬、9月中旬にも奉納される。
【活動の歴史】 昭和15年頃、第二次大戦により中断。稲童出屋の集落は、築城基地が近接していることもあって空襲が激しく、壊滅状態となる。昭和40年頃、再度、下稗田神楽講の人を招いて習得し直した。以後、稲童の他地区からも講員を加えたりして、稲童神楽講の維持と活性化が図られている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 素人歌舞伎衆から始まっているにもかかわらず、自分たちで新たな振り付けを導入することもなく、敢えて120年前に教わったままを現在に留めている。一見、派手さのない、しかし高度な技術を要する舞として知られる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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