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【由来等】 信仰の山としての求菩提山の歴史は、5世紀に遡るともいわれるが、記録には12世紀の初めの平安時代に僧の頼厳によって、この地に修験道がもたらされたと伝わる。以来、天台宗護国寺を中心に多くの山伏(修験者)が住み着き様々な修業に挑み、最盛期には「一山五百坊」と呼ばれ、求菩提山は九州を代表する一大修験道であった。明治の神仏分離令により、求菩提山護国寺は国玉神社と改称された。求菩提山護国寺の修験道時代には、松会(まつえ、たぎょうじ)と呼ばれる、豊前修験道独特の祭礼があった。御田植祭も松会の中で行われていた行事である。
【活動の歴史】 松会の内容は、田行事、神幸祭、御弊切り行事、長刀行事、流鏑馬、獅子舞、一種の風流(楽打ち)などである。神仏混合の山岳仏教の祭りで、仏寺が営んでいた神事である。しかし、明治の神仏分離令以後、山徒の離散によりこれらの行事を維持していくのは困難となり、今日、維持されている松会は御田植祭のみである。御田植祭は、実際に神田に早苗を植えるのではなく、松庭と呼ばれる広場で、「田打ち」「畦ぬり」「種子蒔き」など、1年間の農民の耕作を真似て、その年の豊作を神に祈願する予祝行事である。行事の伝承については、氏子を中心に活動を続けているが、氏子の減少により困難な面もあり、保存会が発足し地元の協力を得て、御田植行事が伝承されている。
【芸能を行う理由・目的】 農作を学び、豊作祈願行事
【舞・踊りの特徴】 御田植の時に、遺巻(御神歌)が歌われ、草刈の所作では、「あら、蜂が出た」といっておどけた格好をする。田鋤きの場面では、牛が思うように動かず、時々、怠けて寝そべる。牛は頭が張り子で、胴も竹を組んで黒布を張り背中に鞍を置く。風体が滑稽である。田ほめの場面では、出演者、参観者全員で「ほう、ほう」と合唱し、良く出来た田を誉めたたえる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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