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【由来等】 岩屋地区では古くから神楽が舞われていたといわれている。1762(宝暦12)年の「村々寺社御改帳」に、岩屋地区七社神社の祭礼の際に神楽が奉納されたとの記録がある。1857(安政4)年の面が保管されており、江戸時代から氏子神楽講が存在したといわれるが、確証はない。明治、大正時代は、地元に奉舞する人間がいなかったため、山内神楽講の人々が岩屋地区の祭礼で神楽を舞っていたとも伝わる。昭和3年の御大典記念行事(昭和天皇即位式)に際し、地元の有志の人々が山内神楽講から神楽を学び、岩屋神楽講が発足した。そのため、山内神楽の影響を色濃く受けている。「掛手草」は、下毛郡三光村の佐知系神楽の一部を取り入れたものといわれ、大平村唐原神楽講より教授された。
【活動の歴史】 神楽講発足以降、第二次大戦中も絶えること無く舞われてきた。過疎の進行による講員の減少への対策として、耶馬溪町大野神楽講の同志を講員として迎え、両地区神社での神楽奉納を通じて互いに協力している。また、大平村の唐原神楽など近郊神楽の演目も積極的に取り入れている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災
【舞・踊りの特徴】 全般に、静かな舞。お囃子は七社神社の氏子に伝えられていたものを山内神楽の演舞に合うように、修正したもの。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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