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【由来等】 江戸時代後期の弘化年間(1844〜1848)年に、大原の地元有力者鯉川弥蔵が若者の善導のために操り人形を取り入れる事を思いつき、当時しばしば巡業に来ていた大分県の北原人形芝居(淡路系)から伝授を受け、「大原操り」にした。明治初期頃大原操人形は、定年制で青年団を中心に演じられていたが、座を退いた壮年達がこれとは別に新座を結成し、技を競い合っていた。しかし、この新旧両座の対立が激化し、村民協議上廃止が決定された。その後今津の村長、住職たちが伝統ある操り人形の消滅を惜しみ、地区の人々を説得して大原の新旧両座の人形道具一式を譲り受け、新たに今津人形芝居「恵比須座」を1891(明治24)年3月に結成した。
【活動の歴史】 1891(明治24)年、今津に「恵比須座」結成。明治40年代(1907〜1912)、糸島郡内をはじめ早良郡、福岡市、佐賀県内まで興業に出かけるなど全盛期を迎えた。太平洋戦争中は一時中断、戦後の昭和23年に再興するが、青年層の流出で再び中断。その後、昭和45年5月、今津人形芝居少年部を結成し、恵比須座員の指導を受けた。現在、今津人形芝居少年部の子供たちが30〜40代となり、恵比須座(今津人形芝居保存会)の中堅として活躍し、地区の子供に継承活動を続けている。
【芸能を行う理由・目的】 昔は、青年の善導・娯楽を目的に行われていたが、現在は、地区の活性化を目的としている。
【舞・踊りの特徴】 人形遣いは「主遣い」「左遣い」「足遣い」の1体3名で操っている。主遣いは、左手で人形の頭、右手で人形の右手を動かし、人形の頭で微妙な指示を出し、左、足遣いに次の動きを伝える。足遣いは、両手で人形の両足を動かす。左遣いは、右手で人形の左手を動かす。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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