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【由来等】 大宝年間(701〜703)頃、白村江の戦いに敗れた後、吉備真備が唐土より帰還の途次この地に立寄り、768(神護景雲2)年高祖山に築かれた怡土城の落成を祝って青木地区の住民が獅子舞を奉納したのが始まりと伝えられている。
【活動の歴史】 現在残されている小太鼓(破損して使用不能)の銘に「文久3年(1863)十一月吉日」とあり、近世末期には存在していたことを裏付けている。この獅子舞も第二次大戦中に一時中断、戦後に復活をみたものの、後継者がいなくなって昭和33年に休止状態。昭和50年、元旦に地区組織である青栄会の発起によって、再び復活。それが現在まで継承されている。また小学生による子供獅子舞を始めるなど、後継者の育成にも力を入れている。
【芸能を行う理由・目的】 「悪魔を祓って吉祥を呼ぶ」めでたいものとして、五穀豊穣祈願の祭典や落成式などで上演している。
【舞・踊りの特徴】 演劇的要素が強く、獅子は2人立ち1頭、演目によって1名〜3名の演技者が登場する。百姓の素朴なもので、信仰的で娯楽的要素を併せもっている。演目が終わる度に、それぞれの演目の解説が入る。演目は、「門付(祝獅子)」「郎八のひげそり」「猿と獅子」「獅子の餌拾い」「郎八の獅子打ち」「源丞の餅つき」「鬼女」「あやとり」の8つがあるが、現在、演目の5つか6つを演じている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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