|
|
|
|
【由来等】 黒土神楽は、豊前市大字久路土の清水八幡神社に伝わる矢幡家の神楽を伝承したものである。矢幡家は代々清水八幡神社の宮司であり、初代の和気清足から32代の矢幡勝季まで続いた。その後、有吉、湯屋、竹井満、竹井明治、藤冨鴻策、長谷川保則宮司に継がれ現在に至っている。当社の縁起には「861年(貞観3)年春3月5日和気清足自神と也て於神前神楽を奏し奉る」とあるが、古代の神楽の内容は明らかではない。江戸時代に、矢幡家、初山家、長谷川家、清原家、高橋家などの社家のみで行う社家神楽であった。明治時代になると、神楽は社家から氏子へと引き継がれていった。
【活動の歴史】 矢幡家の神楽は、明治の中頃に成垣、黒土の氏子を中心に伝えられた。1900(明治23)年の神楽組の組長は平井恒蔵氏であり、1900(明治23)年8月25日に写した謂儀が残されている。この当時の組員は成垣の人が多かった。1901(明治34)年に城戸啓次郎氏が、この神楽を習い極意を習得した。その後、1913(大正2)年に大石英蔵氏が城戸氏から神楽の手ほどきを受けた。当時は城戸氏を中心に、第二次大戦前の黒土神楽の全盛期を迎えた。戦時中は中断、戦後再び大石氏を中心に西畑和馬氏などにより復活した。その後、西畑氏を中心に盛んに活動したが、昭和40年代に講員も9名までに減少し存続が危ぶまれた。そこで、昭和40年秋、青年団を中心に西畑氏から神楽を教わり、その後も講員が増え、現在では17名に増え、70代〜10代まで均衡のとれた神楽講となり、活発に活動している。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄
【舞・踊りの特徴】 舞の種類は、駈仙(みさき)神楽が主体であり、動きの激しい勇壮な舞である。
|
|
|
|
|
|
|
| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
| | |
|