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【由来等】 創建については定かではないが、九州将軍記には「神代より鎮座あり。神功皇后、三韓より凱旋の後、当座の社殿を乾の方に向け御建立」と記されている。古代から怡台(いと)郡の惣社と崇敬されてきている。神楽は戦国時代の豪族で高祖城主であった原田種親が京都守護のため上京した時、京の能神楽を習得し郷に伝えたとされている。江戸時代までは、旧怡台郡の神職で舞われていた。
【活動の歴史】 明治になってからは、神職による神楽奉納が高齢化などで厳しくなり、高祖神社の氏子によって受け継がれた。しかし、第二次大戦後、一時期神楽師が5名にまで減り、存続が危ぶまれたが、現在では、16名の神楽師が保存会を作って技芸を受け継いでいる。この熱意を受け高祖では区民ぐるみで後援会を結成して神楽師のあと押しをし、郷土の遺産として、顕彰のために本腰で活動を進めている。平成11年頃までは、他の神社へ出張奉納も行っていたが、ここ平成12年頃からは神楽組の高齢化で止めている。昭和59年には夜神楽も復活させた。平成5年頃から後継者は入っていない。全部で23演目があるが、近年は10演目程を演じる程度。演目の合間で稚児舞(幼稚園児)を入れる。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、幼児成長、区民の親睦
【舞・踊りの特徴】 面神楽は神話を題材とし、台詞が多い。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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