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【由来等】 「年中行事六十余箇度」の中、特に重要とされた大祭礼・大祭祀と呼ばれる神幸祭は、山上の本社から麓の聖地、朝妻の頓宮の地まで御神輿が行幸するお祭で、称徳天皇の767(神護景雲元)年、勅裁を以って始められた。御神輿に供奉する人数、所役の数だけでも約800名、その他の人数を加えると1000名を超える大行列である。またこの祭礼の費用も「九州平均ノ課役ナリ」、すなわち九州全体から臨時の税として徴収されたという事で、九州九国を代表する守護大名、四家(島津家、小弐家、菊地家、大友家)が「四頭」と称して輪番に祭を主宰し供奉した。また江戸時代の久留米藩は「九州一統の大礼」と称している(一統は全国の意味)。
【活動の歴史】 平成4年に御神期大祭が開催された以降は、御神幸は10年に一度のものも含めて開催されていない。獅子舞と風流は、昭和36年の御神幸祭のあとに一時中断したが昭和52年に高良山町内の有志により再結成した。獅子舞と風流は以前は御神幸祭(10年に1度)、御神期大祭(50年に1度)で奉納していたが、これでは伝統芸能が継承できないため、昭和52年より毎年、高良大社の御神前で元旦祭、おくんちの日に魔祓として奉納する事となった。
【芸能を行う理由・目的】 神威感謝、氏子繁栄
【舞・踊りの特徴】 高良山獅子舞は前獅子、後獅子の2名で舞い、随時「歯打」を行なっている。この歯打ちは子供の頭を飲み込み「カチカチ」と音を出す。これは心身供に健全に育つようにと祈る儀式。風流は、太鼓方が中心の演舞だが、今様のテンポの早い勇壮活発なものではなく、ゆるやかで大きな動作が特徴。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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