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【由来等】 多賀神社(直方市)の神官であった青山敏文が、宝永〜享保年間(江戸時代中期、1704〜1736)に著した「里神楽本末」の内容が、現在の六嶽神楽の演目と類似していることから、この頃には現在の六嶽神楽の演目の元となった鞍手地方の神楽が成立していたと思われる。「里神楽本末」の序文には宝永〜享保年間以前の神楽の存在をうかがわせる内容の文章が見られるが、詳細は不明である。直方市多賀神社の神官、青山敏文によって伝えられた神楽といわれ、舟津家で3代にわたり伝承されている。
【活動の歴史】 1885(明治18)年頃に、神官の安藤不二麿により最初の神楽座が組織されたが、氏の早逝により解散。その後は1916(大正5)年、舟津嵩の指導により、長男萬彦が神楽を奉納。1917(大正6)年、舟津嵩の指導により、六嶽神楽再興。子供が舞い方を受け持つなどの、盛衰を繰り返しながら、昭和15年過ぎまで継続。第二次大戦の影響で長期中断を経て、昭和25年、舟津嵩の指導により再興。昭和46年には鞍手町民俗文化財の指定を受け六嶽神楽保存会を結成。
【芸能を行う理由・目的】 「伊藤家家事雑記」に放生会・願成就(病気平癒)・御遷座執行の際に奉納したとの記術がある。
【舞・踊りの特徴】 直面の採物神楽が、演目の約半数を占める。着面神楽は神話にもとづいた内容であるが、演劇的要素は比較的少ない。全体的に静かで、優雅な舞が特徴である。また、鹿島大己貴や猿田彦などは、舞と同時に言(言葉)による問答が大切な要素となっている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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