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【由来等】 この神楽は、鎌倉時代後期に疫病が流行し、悪疫防除を祈ったことに始まったといわれる。嘉穂郡桂川町にある老松神社では、春に例祭、秋に大祭が行われる。春の例祭では獅子舞が行われた後、神楽が奉納される。上土師と下土師が毎年交代で奉納するが、上土師の獅子舞は勇壮活発で力感にあふれ、下土師の獅子舞は優雅なさびのある舞い方。神楽は、1922(大正11)年に発足した神楽座によって舞われる。大分八幡宮(筑穂町)神職、井上栄氏の指導を受け発展した。
【活動の歴史】 神楽座発足は1922(大正11)年3月。江戸時代、神社で行われるお神楽は近村の神職が助け合って上演していたが、明治になると神道政策により祝日が統一され、神職の他社への応援ができなくなり、氏神の祭りは氏子自身でやろうという動きが活発になった。土師の区長が音頭をとり、3名の発起人を中心として「崇敬会」ができて、これが神楽座の前身となった。嘉穂郡内の神楽を継承し保存に努めており、現在の会員は17名である。例祭には22演目の神楽が上演される。
【芸能を行う理由・目的】 豊作祈願、五穀豊穣、国富繁昌、家内安全
【舞・踊りの特徴】 採物神楽、面神楽、座女舞により特徴がある。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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