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【由来等】 小野谷獅子舞の由来は定かではないが、江戸時代中期の1824(享保9)年、8代将軍吉宗公の時代には奉納されていたと推定される。五穀豊穣、無病息災を願い正月元旦に高木神社で奉納される。
【活動の歴史】 第二次大戦中に一時中断していたが、戦後の昭和25年〜26年に、大分八幡宮獅子組(筑穂町)の指導を受けて復興。昭和32年〜33年までは盛んに舞われていたが、その後は後継者不足のため休止した。昭和56年に現在の保存会が発足した。小野谷は信仰にあつく、神社の春秋、元旦の祭典はもちろん、獅子舞においても行政区が取り仕切っている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災、家内安全
【舞・踊りの特徴】 「神楽」は熟年期の舞として、その重厚さから境内で舞うものとされ「納め」は老いた雄獅子と雌獅子が連れ添い互いに見返り寄り添いながら神社拝殿の奥深く昇り行く姿こそ、永い人生を生き抜いて夫婦添い遂げる幸福を神にこい願った芸人達の願いが偲ばれる舞いといわれている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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