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【由来等】 植木の三申踊は、約千年前の平安朝の昔、空也上人を始祖とする念仏踊りの流れを組み、地方歌舞伎の一団として栄えた植木役者によって、歌舞伎長唄などの手振りが加えられて、今日に伝承された郷土芸能である。また、植木役者が諸国巡業を終わって帰村した場合は、正月の申の日に、日吉神社の定舞台に必ず奉納した。今では毎年4月16日の日吉神社の春祭りに奉納踊りをする。「植木の三申踊」の名は、昭和16年7月5日、NHK小倉放送局でラジオ放送をした際、当時の世話人、山田堤、尾仲朝雄、森山教道、草野勇作の4氏が協議し「植木の三申踊」と決め、用いられるようになった。
【活動の歴史】 正月の申の日を選んで行われたと伝わる。1681(延宝9)年以後、多賀神社の祭礼に植木寺中の躍興行が行われていたといわれるが、現在は行われていない。その後、植木の盆踊りともなって8月に踊られるようになり、現在は祝儀宴席でも踊られるようになった。遠賀川流域の各地に「思案橋」という盆踊りが広く普及して踊られるようになったのは、遠賀川の船頭たちが船頭唄のかわりに唄っていたためで、その歌詞と踊りはこの三申踊が源流と推定されている。
【芸能を行う理由・目的】 日吉神社への奉納踊り、8月は初盆供養
【舞・踊りの特徴】 思案橋の中の「七手」は、活発に大きく踊る男手の踊りで、1つの歌で踊りの手振りが7つに変化する。鍛冶屋(かじや)、三番叟(さんばそう)、水棹(みさお)、天気(てんき)、姫女(ひめじょ)、投網(とあみ)、双手(もろて)と川筋の要素を盛り込んだ7つの動作を模した踊りで、先導役の「はな引」が「鍛冶屋でセイ」などと掛け声をかけ拍子木を打つと、踊り手は次々と踊りを切り替える。7つの手振りの合間につなぎ手振りとして「うしろ」という動作が入る。「本手」は歌詞が長く、踊りも優美な長唄踊り、「思案橋」は「七手」の男踊りを踊っている時に思案橋の女踊りと次郎左くずしの女踊りも同時に踊る。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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