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【由来等】 1626(寛永3)年、直方藩士大塚次郎左衛門ほか数名が君命により江戸へ上り、その帰途の大阪で思案橋を習い、帰藩して多賀神社(日若宮)に伝承されていた日若踊・舞に加えたものが思案橋踊(次郎左踊)となった。さらに1864(元治元)年、直方へ宮芝居にきていた大阪の役者浅尾鬼丸の指導によった地唄「加賀の千代」の替歌から新作の振付けがなされて古町組の本手踊として残った。この思案橋踊と本手踊の二様の踊をもって直方日若踊と呼ばれるようになり、今日に至っている。
【活動の歴史】 1892(明治25)年頃までは盛んに踊られていたが以後衰徴する。昭和3年天皇位御大典に際し日若踊後援会が発足し、再興する。昭和33年福岡県無形文化財に指定され、直方日若踊保存会育成会が結成された。現在、古町北区、古町中区、新町区の三地区に保存会があり、三者が合同し、保存育成会連合会を結成、保存育成に努めている。
【芸能を行う理由・目的】 精霊供養
【舞・踊りの特徴】 2個のぼんぼり提灯を中心に踊る輪踊りで、手の振りや足の運びは小さく、優雅に舞う。古町北区の特徴としては、「思案橋」に男性の踊り手が加わって踊る。「本手踊」は、女性のみが踊る。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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