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【由来等】 中泉一区に伝わる「花踊り」は別名を「里踊り」といい、寛政年間(1789〜1801)に芦屋町の歌舞伎役者によって、遠賀川を遡って遠賀群から筑豊地区一帯に広められたとされる。中泉一区ではこの花踊りのほかに「奴踊り」、踊りの初めと終わりに行う「出端」「入端」が古くから伝えられている。
【活動の歴史】 花踊りは一時筑豊地帯に広まったものの、習得が難しいため徐々に衰退し、現在残されているのは中泉一区と中間市本町(名称は「里踊り」)のみである。中泉一区では第二次大戦中も絶やさず盆踊りを行ってきたが、近年は少子化の影響で、踊りの継承が危ぶまれた。そこで次世代にこの踊りを伝えようと、区と婦人部が協力し、2年前に保存会を発足した。
【芸能を行う理由・目的】 新仏供養、祖霊供養
【舞・踊りの特徴】 「奴踊り」は6番、「花踊り」は5番から成り、唄の文句にあわせ輪を描いて踊る。現在は退場の際に踊るという「入端」は行っていないが、「奴踊り」「花踊り」の前には短い旋律の「出端」を行う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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