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【由来等】 諸説あるが、起源は定かではない。三番叟は、疫病が流行したため始められたといわれ、津原地区の家が三軒になるまで止めないという万年願として伝えられている。獅子舞は大分八幡宮(旧筑穂町)から習ったともいわれるが、杖楽が伴なうことや獅子舞の型が大分のものと異なることなど、伝承経路は必ずしも定かではない。
【活動の歴史】 第二次大戦前までは雄獅子・雌獅子・杖楽・三番叟の各役を津原地区の家に振り分け、世襲制で代々継承していたが、戦後は自由に選択できるようになった。戦時中も祭り自体は行われていたが、獅子頭で各家を祓うのみで、舞そのものは舞われなかったといわれる。かつて祭りの中心だった青年団は、時代の流れで解散し、現在は保存会が中心となって催行されている。
【芸能を行う理由・目的】 無病息災、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 三番叟は男児1名の舞であり、四方(東西南北)の神に祈願し、場を清める舞。口上役がつく。小学2年生〜4年生まで3年間は同じ子供が演じることは特徴である。杖楽は「馬場開き」「馬場塞ぎ」「先杖」「親杖」があり、馬場開き・馬場塞ぎは神殿前と座元宅のみで行う。子供の太鼓打は「廻り打ち」とも呼ばれ、太鼓を順番に打っていく。獅子舞には「ヒヤ」「ナカ」「ノリ」の3種あり、雄雌の獅子が出会い、情交を深め、婚姻するまでを表現している。雄雌二匹の獅子が、太鼓、小太鼓、鉦、笛の囃子に合わせて舞う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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