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【由来等】 綱分八幡宮放生会御神幸祭は、北朝暦応年間(1338〜1342)から続く神事といわれている。1786(天明6)年の古文書には、天正(1573〜1592)に御神幸があり、流鏑馬、獅子舞、相撲、神楽が奉納されていたことが記されている。また1894(明治27)年に雅楽係が結成され、御神幸に奉仕するようになった。現在の獅子舞は享保年間(1716〜1736)に男山の石清水八幡宮(京都)から習得したものといわれている。現在舞われている神楽は第二次大戦前に出雲で学び、この地方に伝わっていた嘉穂神楽に修正を加えたものが基本となっている。
【活動の歴史】 御神幸は、江戸時代に黒田藩の庇護の元、盛んに執り行われており、明治維新後は綱分の氏子が主体であった。神楽は、神職によって演じられていたが、明治に入るとすたれた。明治末期に、氏子の手で神楽座が結成されて復活した。流鏑馬は、第二次大戦後しばらく途絶えていた。昭和30年に1度行われ、昭和57年から復活した。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣 、天下大平
【舞・踊りの特徴】 神楽は、出雲の宮神楽の原型に近いといわれる。獅子舞は、3種類の舞があり、前役と後役の2名(1獅子)で演じられる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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