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【由来等】 大己貴神社は、弥生時代の創建と伝わり、朝倉地域でも古い神社の一つといわれる。神功皇后が朝鮮半島へ軍兵を進めた際、兵が集まらなかったため大己貴神社を建て、槍・楯・鉾などを置いていたところ、兵が自ら集まってきたという説もある。秋季大祭の起源は定かではないが、毎年10月23日に行われる秋の収穫感謝祭で、「おくんち」といわれ、700から800年の歴史があると伝えられる。祭神の大己貴之命(大国主之命)は大神大明神で(おおがみ)が転じて「おんが」。地元の人は親しみを込めて、お宮を「おんがさま」と呼ぶ。神輿行列は、草場川河畔遷座場所(御旅所)まで往復する。神社と御旅所では「浦安の舞」が奉納される。
【活動の歴史】 第二次大戦中は中断していたが、昭和40年代に復興し、神輿や道具類は新しく作り直された。行列行事も復興し、10月23日の秋の収穫感謝の祭りとして現在まで受け継がれている。毎年、氏子地区で、役割分担を決めて運営している。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、地域安全
【舞・踊りの特徴】 神幸祭は、御弊を先頭に御鉾、前払い、冨柱、楽人らが神輿の先導し、その後から氏子が供奉するという簡素な中にも厳粛さを持つものだった。近世中期頃から行列や奉納する芸能にも趣向が凝らされるようになったといわれる。面をかぶった男道八、女道八や小学一年生の男子による御前太鼓などが行列を組み、神社と遷座場所で「浦安の舞」が舞われる。浦安の舞は、扇の舞に続き、鈴の舞が女子中学生によって優雅に舞われる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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