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【由来等】 二丈町の一貴山盆踊りは、平家伝説との関わりが深い。怡土・高祖城主原田種真が平重盛一家の菩提を弔うため、1203(建仁3)年に龍國寺を創建(当時は小松山極楽寺)し、その頃から京風の念仏踊りが踊られていたと伝えられる。お盆に踊られる龍國寺縁起「くどき(口説)」の各節には重盛、御台、子供(千姫、福姫)の非業の末路が述べられ、「囃す太鼓は供養のひびき、踊る手振りもぼだいの為ぞ」と唄う。一貴山校区の盆踊りは「龍國禅寺の盆踊り」と呼ばれており、昭和41年、まちまちだった踊りを龍國寺盆踊りの所作に統一した。盆になると龍國寺(波呂)を中心に盆踊が行われる。その中で唄われる鎮魂の「くどき(口説)」はこれら非情の最後をとげた霊を慰めるもの。
【活動の歴史】 龍國禅寺から広まった盆踊りは、8月13日〜15日にかけては初盆の家庭を踊って回り、16日にお寺の境内で盆踊り供養を行う。その後18日に一貴山校区(10区)盆踊り大会を行なう。昔は一貴山小学校の校庭で行っていたが、今は数年前完成した曲り田スポーツ公園で行っている。平成15年は37回目で、婦人など350名が二重の輪になり踊った。校区全体で継承に力を入れており、小学4年生以上のクラスでは授業科目に「龍國禅寺の盆踊り」として取り入れ、伝統芸能の継承に力を注いでいる。
【芸能を行う理由・目的】 戦没者・初盆供養
【舞・踊りの特徴】 鎮魂の踊りといわれ、ゆっくりした所作が特徴である。足運び、交互、左右に差し出す手は何かを追っている仕草に見え、時折、体を反転させる動作を含めて清廉で独特のムードを持つ。女性しか踊らないといっても過言でないほど大半を女性が占めるが、京風で公家、武士階級の踊りともいわれる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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