|
|
|
|
【由来等】 古い伝えによると、上宮は白旗山中腹にあり下宮が山裾にあって、古くは上宮を鼓打権現、下宮を笛吹権現とよんでいた。この両権現は神功皇后が三韓出兵の際の神楽奉納で、囃子の太鼓、笛を指導した神だといわれている。撃鼓神社の佐伯家文書には、「神楽」という文字が見られる。最も古い記述は1701(元禄14)年6月14日の日付のある「直方黒田伊勢守様まで雨乞祈祷被仰付湯立神楽有」であり神楽奉納が行われていたと思われる。本殿は1446(文安3)年8月に再建とされ、その後一度火災に遭ったと神殿の掛け物に記述があり、この神社の古さを伺い知ることができる。祭神は、天太玉命、天児屋根命、天鈿女命で氏子区域は4つの町に及ぶ。下宮は佐伯氏が累代祭を司っている。
【活動の歴史】 明治末期までは神職が神楽を舞っていたが、神職の高齢化で神職のみで神楽を支えるのが困難となり、1919(大正8)年から氏子の青年が宮司(佐伯氏)に神楽舞の指導を受け、毎年祭祀に奉納するようになった。佐伯氏自身も現在舞台に立っている。この撃鼓神楽は毎年演目を変えることにより数多くの演目を神楽組の人に伝え残すことを目指しているが、高齢化、継承者の減少の悩みは続いている。昨年は台詞の意味の勉強会を開催。意味を知ることによって、より深く神楽を理解するためである。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄
【舞・踊りの特徴】 所蔵する面33面をすべて神殿に掲示し、舞方は掲げられた面から、自分の神当で決まった役の面を採り舞う。演目は22にわたるが、1回の演者数に限りがあり数演目にしている。面は神を顕わしており、文言の掛け合いが多い。
|
|
|
|
|
|
|
| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
| | |
|