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【由来等】 鯰田の氏神、皇祖神社は1509(永正5)年御笠郡寶満宮の御尊神を勧請しており、主御祭神に玉依姫命を祭祀する。1869(明治2)年までは寶満宮と称していたが、神功皇后と応神天皇を合祀しているところから同年に皇祖神社と改称した。そこに伝わる獅子舞は、京都・岩清水八幡宮から旧筑穂町の大分(だいぶ)八幡に伝わったものが伝播したと考えられており、演舞的要素が強い獅子舞である。有光家(宮司)に伝わる昔の村の諸祭記録文書によれば、「1745(延享2)年7月7日定日、獅子祈祷」と明記されており、それ以前から行われていたと考えられ、鯰田地区に古くから伝わる夏越しの祭祀として伝えられてきた。獅子は最初に大行事神社(牛馬を守る神様)と疫神社(地域では福井神社と呼び、村の入口にあって疫病の進入を防ぐ神様)を訪れ、そこで舞う。その後、各家庭を舞って回る。
【活動の歴史】 第二次大戦前は4町内で獅子舞い(獅子頭は1対で週を変えて回す)をしていたが、戦時中は中断。戦後は6町内で回し一時盛んになっていった。しかし、近年若手の減少で舞い手も少なくなり、2〜3町内で舞うようになった。現在は浦田町、上町が中心となり、獅子頭が1対のため、日を変えてそれぞれの町内で舞っている。昭和37年に獅子舞をもっと身近に、また、郷土芸能としての認識を深めるために「各町内対抗獅子舞競演大会」を開いたが、3年間で中止となった。現在、浦田町に「鯰田浦田獅子の会」があり、伝統ある郷土芸能として末永く、子々孫々に至るまでと、伝承に力を注いでいる。獅子舞当日も、先輩の舞っている所作を見ながら練習をする風景が見られる。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災、家内安全、商売繁昌
【舞・踊りの特徴】 雌雄の愛情の変化を表している。寄り添い、共に喜び、慈しむ意味が舞でしっかり伝わってくる。特に、雌獅子が尻尾を立て小気味よく振る仕草は雄獅子を挑発しているようで愛敬がある。昭和の中頃までは、獅子の後ろには子供が入り、獅子の胴の後ろが垂れて子供が踏まない様に尻を絡げたことから、「尻はぐり」と呼ばれていた。今でも時折子供が後ろに入ることがある。戸別獅子祈祷では、「打ち込み」といって、清道旗・鉦・猿田彦面・獅子が声を上げて玄関に駆け込み、掛け声・鉦・獅子鳴らし(歯をカタカタと合わせる)を独特の調子で行う。その後に玄関先で、ハンニワまたはホンニワを舞い納める。ホンニワはハンニワの倍舞う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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