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【由来等】 五穀神社の由来は定かではないが、大凶作の年に時の藩主が当時の庄屋に命じ五穀を祭るよう指示を出したというが、その時期は定かではない。獅子舞については、1730(享保15)年の撃鼓神社の古文書に五穀神社に獅子舞を奉納したという記述がある。
【活動の歴史】 獅子は神輿の後をついて回っていたといわれ、古くは、中、庄司、柳橋、津島・吉北の5地区を舞っていた。昭和57年の大洪水でも宮司を舟に乗せ、区を回ったことがあり、獅子は水に浸かっても進み、舞を中断した記憶はないという。郷土の大事な年中行事としての位置づけが強い。第二次大戦後一時期人手不足もあって、獅子舞は神社のみとし、各戸では獅子をささげるだけの時期もあった(柳橋の獅子は口は開かない)。現在、子供から少年、青年、壮年、かつての経験者の序列がしっかりした中で、獅子舞に関係する人は「獅子若」と呼ばれ、伝統が引き継がれている。祭りでは、獅子のお休み処が各戸持ち回りで定められ、獅子頭は家に飾られ接待がある。獅子が回ると「花」とよばれる寄進があり、大声で披露され、拍手が起こる。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災,悪疫退散
【舞・踊りの特徴】 旧筑穂町大分八幡から伝わったといわれており、三段「デハ」「ナカノキリ」「ノリ」を全て舞う事を「本庭」と呼んでいる。各家庭を回るときは、「本庭」約15分と「ノリ」3分を随時舞い分ける。「デハ」は序に当たり仕草はゆっくりしているが、「ナカノキリ」で動きが速くなり、「ノリ」では、激しく舞う。雄獅子・雌獅子の感情を表すといわれる。「本庭」の場合は続けて舞われるが、他所の獅子舞のように途中でいったん止めてからの交代ではなく、舞いながら素早く人が入れ替わるのは他に例がない。獅子の尻に子供が入る、途中で交代するので10名以上になる。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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