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【由来等】 撃鼓神社境内にある祇園社(祭神はスサノオノミコト)の神事として行われてきた。神社の記録では1729(享保10)年に獅子頭一対が奉納された記事があることから、約270年前から舞われていたと思われる。飯塚市内の獅子舞の多くが旧筑穂町の大分八幡宮の流れをくんでいるが、中一獅子舞は桂川町の流れを受け継いでいるといわれる。
【活動の歴史】 祭りは、以前は毎年7月15日の定日に行っていたが、現在は7月中旬の日曜日に実施している。昭和60年頃に再興したが、再興前15年間は獅子頭破損で中断した。ただしその間も祇園社の行事として「戸別祓い」の祈祷は神職によって行われてきた。男社会の獅子舞行事に、近年子供(女児を含む)が輪になって踊る「廻り楽」が始まり、女の子が縦笛も吹くようになっている。現在は中一獅子保存会を組織して活動しており、平成12年頃に幸袋中学校の学園祭で獅子舞を学生に教えるなど継承には力を入れている。20029月城島町の大獅子パレード2002に特別参加した。
【芸能を行う理由・目的】 悪疫退散、五穀豊穣、家内安全、子孫繁栄
【舞・踊りの特徴】 獅子舞の演目は、「神殿入り」「入破」「中ン切」「本典」の4演目である。神職が各家庭のお祓で回るのと一緒に獅子も回り(獅子御祈祷という)、巡行中の町内では演目の「本典(サッサ)」を中心に舞う。「本典」は他の獅子舞でいう「急」に当たる。また「路次楽」という道中楽を行う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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