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【由来等】 乙丸八幡神社(疫神社)の夏の祇園祭の一環として行われている。同神社は別名疫神社と呼ばれ、応仁年間(1467〜1469)に伊川八幡神社より分離、現在地に建立された。末社として、愛宕、貴船、五穀の3社を併置している。毎年12月の大祭には、嘉飯山地区の多くの人々が参拝に訪れている。
【活動の歴史】 獅子舞は延喜年間(901〜922)頃、唐から遣唐使によって日本に伝えられたといわれている。享保年間(1716〜1736)に京都石清水八幡宮から全国の主要神社へと普及し、筑前国では大分八幡宮に伝わったといわれている。また天明(1781〜1789)・天保(1830〜1844)の大飢饉が起こり多くの人々が餓死、あるいは疫病のため亡くなった。この頃から五穀豊穣(雨乞い)と悪疫祓いを祈願するため各地で普及した。当地の獅子舞は第二次大戦後さびれたが、最近氏子の協力により徐々に昔に戻りつつある。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、悪疫祓い
【舞・踊りの特徴】 当地方の獅子舞は大分八幡宮の獅子舞を源流としているものが多く、この獅子舞もほぼ同じ形式である。獅子舞の曲は道行き、「イリハ」「ナカ」「キリ」神殿入りの5曲である。お汐井(塩)で身を清め、猿の面(猿田彦大神)を鉾に付け、シンボル旗である「清道」、ご神燈、幟、獅子、笛、太鼓の順で村中を練り歩く。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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