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【由来等】 桂郷神社の名は、建花寺地区西側に樹齢1200年を超える天然記念物の桂の木にちなむといわれている。奉納される獅子舞は、1732(享保17)年のイナゴによる近畿以西の大飢饉の際、疫病退散と五穀豊穣を祈願して奉納したのが始まりと伝えられる。舞いは旧筑穂町の大分八幡宮から伝わったといわれるが、地元では建花寺の檀家住民が、京都に習得しに行ったとも伝えられている。演目は大分の獅子舞に似ているが、舞いの所作には独自のものがある。
【活動の歴史】 昭和58年頃までは建花寺地区の本村、古野の2区で舞いをしていたが、後に古野地区の獅子舞がなくなり、本村の獅子舞が残った。その後、本村の獅子舞は、7月15日の祇園祭では本村地区で、9月15日の放生会では古野地区で獅子舞を演じていたが、現在は祇園祭の同じ日に古野地区を訪ね舞うようになった。本村も昭和中期に20年ほど途絶えた時期があるが、昭和43年頃、青年団の手により復活した。その頃は村主体の行事であったが、昭和58年頃保存会が発足。現在有志会中心で活動している。
【芸能を行う理由・目的】 悪疫退散、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 獅子は有志会が8名で交代で舞う。演目の「イリヤ」「ナカノキリ」は、雌雄の獅子が寄り添い、最初は縦、横の流れ足と呼ばれる足運び動作を行い、次に左右の足を捻る「ねじり足」も入れてゆっくり舞う。「ノリ」では、小太鼓の調子に合わせ軽やかに、また激しく、対立するように、所狭しと舞う。打ち込みも(獅子を鳴らす)増えて、終わりは雌雄向い合って打ち込み舞いを終わる。大分系といわれるが、独自の舞い姿を持つ。獅子の後は胴布を直接被らず、アオリをいれ獅子の動きを助ける。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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