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【由来等】 源平合戦のひとつ、北越前篠原の合戦で斉藤別当実盛と手塚太郎光盛が戦った際、斉藤別当実盛が稲の切り株につまずき転んで、手塚太郎光盛に討ち取られたので、それを恨んだ実盛の霊が虫の姿となって稲に害を与えるようになり、その霊を慰めるために、この祭りを行うようになった、と伝えられている。本来は稲の害虫を鉦、太鼓を打ち鳴らし、夜は松明をつけ追い払うのが目的であったが、江戸時代、虫追いをした地方は、害虫のせいで米のできが悪かろうということで、年貢が割り引かれたとのことで、この虫追いは、表面は害虫退治であるが、その実、年貢をまけて貰うための行事であったといわれる。
【活動の歴史】 この祭りは古く江戸時代から田主丸地方で行われていたといわれ、約290年の歴史がある。第二次大戦後に途絶えていたが、昭和49年に、JA田主丸青年部・パイオニアクラブの手で復活させ、以来、3年毎に開催されている。次回は2004に開催される予定。
【芸能を行う理由・目的】 年貢米を少なくするため。現在は町民娯楽。
【舞・踊りの特徴】 竹とわらで作った馬を20数名の若者が担ぎ、人形が鉦、太鼓の囃子に合わせて練り歩く一種のケンカ祭り。クライマックスは、日暮れて行われる巨瀬川の中の合戦。たいまつの灯りの中で水しぶきがあがる合戦風景は勇壮である。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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