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【由来等】 三井郡北野町の北野天満神社は、1054(天喜2)年、後冷泉天皇の勅令で建立され、京都の北野天満宮の祭神である菅原道眞公の御分霊を祀っている。昭和37年に福岡県指定文化財になった「筑後国北野天神縁起」には、菅原道眞公の生涯が描かれている。道眞公が京都から大宰府への下向途中、追手を逃れ北野に来られたという伝説がある。その時のいい伝えとして河童にまつわるものがあり、風流に取り入れられている。大名行列は、久留米藩主有馬公の参拝行列を受継いだものである。「北野」の名のおこりは当神社に保管されている県指定の文化財の「筑後国北野天神縁起」の第3巻の巻頭に記されている「川北の野にあればとて、ここを北野と名づけ」に由来する。古来、筑後川の北部の平野ということで「河北の庄」や「北野荘」といわれてきたものである。
【活動の歴史】 江戸時代の頃は、これらの行列を指導する者が有名な「北野の3日侍」と言われた者で、祭りの3日間だけ大小の刀を帯びることを許され、警備の役をした。祭りは昭和初期までは、毎年10月18日(小くんち)、10月19(おくんち)、10月20日(お化粧落し)と3日間行われていたが、終戦後は10月19だけとなり近年は10月の第3日曜日となった。御神幸の行列には大行事(大行司2名)、小行事(小行司2名)、幣指(へいさし2名)と何れも5〜6歳の子供が2地区から3名づつ選ばれて参加した。また、流鏑馬(やぶさめ・成人)も参列したが、現在では大行事だけとなった。15〜6年前迄は、御神馬及び神宮・行事(行司 子供、烏帽子姿)、流鏑馬(やぶさめ 成人、笠・上下姿の武者)の乗る馬は実馬を使っていたが、準備が困難となり絶えていた。今年から木馬を使用し、復活した。
【芸能を行う理由・目的】 学徳成就、五穀豊穣、家内安全
【舞・踊りの特徴】 風流師は短く太いバチを両手に、舞いながら太鼓を打つ。曲打ちをしたりとんぼ返りをしたりもする。演目は「道行」「神の前」「巻龍(マクリュウ)」「河童月にうかれて」の4曲がある。奴は道中、大声を出して舞い回る。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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