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【由来等】 「旭座人形芝居」の始まりは、1872(明治5)年頃といわれる。鰐八地区の祝いの席で、橋村増作、石橋与吉が、瓢箪や徳利に顔を描き、浄瑠璃に合わせて操ったという素人芸によると伝えられる。それが次第に輪を広げ、地区の人形浄瑠璃へと広がった。以後、熊本県山鹿の大庭座、福岡県朝倉の恵比寿座などから人形を買い入れ、芸題を増やし、本格的な人形浄瑠璃へと発展していった。鰐八座の人形浄瑠璃も次第に芸題を増やし、農閑期には八女茶の宣伝も兼ねて、県内各地へ興行に回り、好評を博するようになった。1907(明治40)年にハワイに移住した者による興行があったとき、在留邦人に絶賛され、幕その他の寄贈を受けた。その幕が改めて鰐八に贈られ、旭日に大鷹をデザインした六間の引き幕であったことから、それまでの地名に由来する「鰐八座」から、「旭座」と呼ばれるようになった。
【活動の歴史】 第二次大戦中、戦後の衰亡の危機を乗り越えて、昭和30年には、福岡県無形文化財の指定を受け、戸数8戸(現在は6戸)で保存会が発足し、家族ぐるみで継承されている。平成10年度、専用会館の完成を機会に門戸を開き、山中から都市部に向けて交流の輪を拡げようとしている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、息災延命
【舞・踊りの特徴】 「文楽」は演目の物語に節をつけて語る「浄瑠璃」、それを演奏する「三味線」、演技をつける「人形繰り」の三位一体の総合舞台芸術である。「人形操り」は、基本的には、一体の木偶を、胴串と右手を操る「主遣い」、左手を操る「左遣い」、足を操る「足遣い」の3名で操るが、芸題によっては1人遣い、2人遣いがある。黒木文楽では、3人遣いの場合「主遣い」を夫、「左遣い」を妻、「足遣い」を子供が受け持ち、家族ぐるみで継承してきた。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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