風治八幡神社川渡り神幸祭
【ふうじはちまんじんじゃかわわたりじんこうさい】

風治八幡神社川渡り神幸祭
【開催場所】
田川市 風治八幡神社(ふうじはちまんじんじゃ) ほか
【開催日】
5月第3土曜日、日曜日
【指定】
福岡県指定無形民俗文化財
【アクセス】
JR田川伊田駅より徒歩3分

【由来等】
 風治八幡神社は古くは伊田大神土着集団の産土神(うぶすなかみ)として奈良時代から祀られていたが、境内に祇園社を勧請したことから山笠も融合するに至ったと考えられる。山笠が神幸祭に参加した記録は1562(永禄5)年、伊田村に悪疫(疱瘡)が流行ったとき、風治八幡神社境内の祇園社に平癒祈願し、祈願成就したことの御礼として山笠を立て御神幸祭に奉仕したのが始まりといわれる。山笠の屋根に立てた棒(シデ)の先には御幣がくくりつけられるが、この御幣には荒ぶる神(スサノオノミコト)が宿るといわれ、山笠が川渡りで暴れることにより御幣が激しく揺れ、それで悪霊が水に流されるといわれている。祇園祭りは夏祭りであり、水の季節の祭りで水神の祭りともいわれ、水にちなむことが多い。

【活動の歴史】
 風治八幡神社の神幸祭は昭和29年の「田川市誌」によると、かつては6月14、15日に行われており3尺四角程度の山笠が供御していた。幡山笠であった。当時、上伊田は獅子と楽、成道寺は獅子と山笠、番田は飾り山笠、下伊田は飾り山笠で山は3本であった。この山笠も明治維新後はしばらく止み、1884(明治17)年の記録に山笠3本とあって復興したことがわかる。1890(明治23)年までのお旅所は風治八幡神社と同じ河畔にあったため、対岸の山笠が渡って来ていた(迎え山笠)が、同年洪水でお旅所が流されて対岸に新たにお旅所が設けられてからは、すべての山笠が川を渡るようになった。平成15年5月17日、18日の神幸祭の山笠は11基(昨年より2基増えた)で、見物に7万人が訪れたという。また、リヤカー部隊と称されるものがあり、山笠を曳く人たちの食料、飲料水、着替えなど入れて山笠の近くに待機している。まさに地区を挙げての大神幸祭になっている。

【芸能を行う理由・目的】
 五穀豊穣、悪霊退散

【舞・踊りの特徴】
 60名で舁く大神輿とそれに続く小笠原藩の三階菱の家紋を染め抜き、緋の旗差物、五色のバレンで飾り立てた高さ17mの11基の幟山笠が彦山川を渡る様は豪快である。特に11基の山笠が川中に揃ったときに見せる乱舞は、勇壮で豪快、山笠の壇上の指揮者の号令できびきびと、また激しく動き、40本以上のバレンの色も鮮やかに舞って絢爛豪華な絵巻を見せる。山笠1基には、指揮者1、搭乗員1、副指揮者2、囃子方4〜5名が乗る。
民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。


田川市
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このホームページの情報は、2002年11月から2004年3月の間に行った取材を元に掲載しています。
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