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【由来等】 天正年間(1573〜1592)の頃から、秋祭りに神幸行列があったと伝えられており、400年以上続いている御神幸祭である。文広の廣田八幡宮(祭神:子応神天皇)から毛槍などを振り合う大名行列、神輿、風流、囃子が矢部川の大和堰を渡り、本郷の聖母神社(祭神:母神功皇后)まで御幸し、神輿の担ぎ手を替え、廣田八幡宮へ還御する。
【活動の歴史】 神幸式のあった当初より宮座制があり、本座制と新神座制の両座制が設けられている。文広地区は本座が大太鼓の飾りを担当し、新座は神輿飾りを担当する。本郷神座は大太鼓の飾りを担当し、本座は祭りの世話をする。本郷地区、文広地区ともに両座があり、座元4名で約400戸の氏子をまとめ、例祭を取り仕切る。座元は1年毎に交代する。氏子の男性は年齢を問わず祭りに参加する。この両宮座制が守られて来たために、休止することなく、現在まで続けられている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災
【舞・踊りの特徴】 太鼓打ちは、獅子田楽舞を舞いながら大太鼓を打つ。挟箱持ちの奴4名は、楽に合わせて歌いながら巡行する。奴は4名が1組になり、毛槍を投げ合う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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