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【由来等】 柳川藩の殿様や野田村の人々が、庄屋 万風八十吉夫婦の霊を慰めるために建てた祠の前に集まり、和楽や余興を奉納したのが仁寿平踊り、風流の始まりではないかといわれる。この祠は、万風神社と称されていたが、1911(明治44)年に現在の日吉神社の境内に遷され、庄屋夫婦が祀られている。
【活動の歴史】 昭和37年に公民館ができるまでは、区長宅で練習を行ない、受け継がれてきた。踊り手は、30数年前は男子だけだったが、要員不足になって女子も出ることになった。
【芸能を行う理由・目的】 万風八十吉夫婦の慰霊と五穀豊穣、区民の安全繁栄祈願
【舞・踊りの特徴】 仁寿平(にんじゅべー)は挟箱を担いだ男を先頭に、歌い方の柏子木を打つ音に合わせて大勢の子毛槍隊が練り歩く、大名行列を真似た踊り。風流(ドンキャンキャン)は小獅子装束の子供たちが飾り太鼓を叩き、赤鬼、青鬼に扮した男たちと、鉦に合わせて舞う。「君が代は、久しかるべき…」という謡の仕舞もある。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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