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【由来等】 高田町の寶満神社は、古代に筑前竈門宝満神社を勧請し建立したもので、一時荒廃していたが柳川藩主立花宗茂が再興したといわれている。奉納能楽については、1640(寛永17)年に柳川藩のお抱え能楽師が能の奉納を行い、それ以降毎年続けられるようになったという資料が残されている。また一説では、柳川藩主立花鑑任が1716(享保元)年に祈願成就のため奉納能楽を行ったのが始まりともいわれている。
【活動の歴史】 能楽は、久留米市大善寺の美麗田楽師梅津家が努め、寺社奉行が執行していた。当時から寶満神社の氏子は諸道具の運搬、手伝いをしており、やがて「ツレ」「ワキ」などを努めるようになり、氏子を中心として能楽が庶民化した。明治維新の旧物一掃により、武家による保護が受けられなくなると、新開の氏子たちによる自主運営で行われるようになり、昭和20年のみ休止したが、以後は途絶えることなく奉納能楽を続けている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 能は喜多流、狂言は大蔵流に属している。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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