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【由来等】 下宮永で現在のような形の風流が行われるようになったのは、明治初期からといわれている。下宮永地区では、それ以前にも違う形の風流を奉納していたが、途絶えていた。そこで、当時下宮永出身の北原隆儀氏が柳川古賀村の村長を勤めていた縁もあり、古賀の日子山神社に奉納されている風流を習得し、再開したといわれている。
【活動の歴史】 第二次大戦中〜戦後の10年間程は中断していた。また昭和40年代にも1度途絶えたが、明治100年の年に特別に行い、その後、昭和52年保存会が結成され復活した。玉垂宮は寛文6(1666)年の創建され、玉垂命(武内宿称・たけうちのすくね)が祭神に祀られる。住吉、春日の両大神を合祀し、現在の玉垂宮となった。敷地511.5u。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、家内安全、無病息災
【舞・踊りの特徴】 まず、鉦と掛け声に合わせ、独特の所作で太鼓打ちがある。太鼓は1名の稚児が叩くが、所作は、2名が太鼓の前で向かい合って行う。途中もう1方の稚児が、「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(小倉百人一首大伴家持)の歌に合わせて扇舞を行う。その直後に笛楽があり、再び太鼓打ちを行う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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