|
|
|
|
【由来等】 香春盆口説きの「香春岳落城秘聞−清瀬姫恋物語」1561(永禄4)年、豊後の国竹田城大友宗麟公によって、香春岳城が攻められ、水路を経たれて落城したときの物語である。城主原田義種公は、落ち行く途中自害し、清瀬姫は、愛児千寿丸を抱いて「暗谷」に身を投じた。村人たちは、名君だった城主の悲運、薄命の姫達の成仏を願い、毎年のお盆には、老いも若きも踊り明かして供養したと伝えられている。また、口説の内容と同じ、座頭琵琶、筑前琵琶「香春岳合戦記」があり、ことに座頭琵琶は、昭和30年頃まで近在の催しの時よく語られ、有名であった。
【活動の歴史】 始まってから休止したとの言い伝えはなく、第二次大戦時中も、人が少なくても行っていたといわれている。地元の強い要望により平成3年7月に上香春盆踊り保存会が発足し、現在伝承に努めている。
【芸能を行う理由・目的】 精霊供養、雨乞祈願
【舞・踊りの特徴】 櫓を中心に左まわりで踊る輪踊りである。ゆっくりとした調子で、手を腰から下げず、手の振りは大きく、しなやかで、足のさばきは、浴衣や腰巻のすそさばきの美しさを競う。盆踊り大会では、櫓に「はやし方(太鼓、三味線、口説、相の手)」があがる。踊り手は、櫓を中心に左回りで三重の輪をつくる。また、櫓を中心に四方に提灯をつける。一般初盆家庭では、花笠をつるし、バンコ(台)をおき、ここにはやし方が陣取り、左回りで踊る。
|
|
|
|
|
|
|
| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
| | |
|