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【由来等】 英彦山は、神体山として崇拝され、神仏習合の修験道場として、英彦山大権現霊仙寺と称していた。明治維新後の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年、神宮に改称され「英彦山神宮」となった。英彦山の修験道としての祭事の中で、頂点をなしていたのが、一山あげての祭礼行事「松会」であった。江戸時代の記録によると、九州全域からの参拝者7〜8万名と記録された松会の盛況は、英彦山信仰の深さを物語っている。獅子舞は、松会行事の中の神幸祭で奉納されているものである。
【活動の歴史】 英彦山修験道の千年に及ぶ活動も、明治維新後の神仏分離令により大きな変革を迎えた。松会は松盛座(松会諸役定)、お汐井取り、柱松、神幸祭、御田祭と全山あげての壮大な行事であった。しかし、修験道廃止とともに山徒が離散し、これらの行事を維持していくのが困難となった。今日英彦山神宮例祭として、御田祭、神幸祭が日を別にして執り行われ、柱松を立てる事は無くなっている。神幸祭は神輿渡御、稚児舞、鉞行事、獅子舞等の諸演技が氏子、英彦山講の人々によって伝統行事として継承されている。
【芸能を行う理由・目的】 国家安泰、五穀豊穣、家内安全
【舞・踊りの特徴】 獅子舞は、雄獅子、雌獅子が別々に舞い、動きは単純であるが、壮重で重厚な演技である。特に、お上がりの日に奉幣殿前で行われる最後の獅子舞「三度がえり」は圧巻である。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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