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【由来等】 英彦山は、神体山として崇拝され、神仏習合修験道として英彦山大権現霊仙寺と称されていた。明治維新後の神仏分離令で英彦山神社となり、昭和50年に「英彦山神宮」と改称された。英彦山の修験道としての祭事の中で頂点をなしていたのが、一山挙げての祭礼行事「松会」であった。江戸時代の記録によると、九州全域からの参拝者7〜8万人と記録された松会の盛況ぶりは、英彦山信仰の深さを物語っているといえる。
【活動の歴史】 英彦山修験道の活動は、明治維新後の神仏分離令により修験道廃止となったため山徒が離散し、行事を維持していくのが困難となった。今日、英彦山神宮例祭として、御田祭、神幸祭が日を別にして執り行われている。神幸祭は、神輿渡御、稚児舞、鉞行事、獅子舞等の諸演技が、氏子や英彦山講の人々により伝統行事として継承されている。
【芸能を行う理由・目的】 国家安泰、五穀豊穣、家内安全
【舞・踊りの特徴】 「増慶上人御供の儀」は、御供岩に白飯を供え、霊鳥である鷹がついばめば吉としてほら貝を吹き、神幸を始める。「松盛」は、祭礼の供の役目を告げる。「稚児舞」は、彦一坊神楽の名残であるといわれている。左手に榊を持ち、右手で鈴を振り、神職の太鼓に合わせて3歩進み、一呼吸立ち止まる。これを繰り返しながら約3分、S字形に進む。「鉞行事」は、刀衆の象徴神具であり、舞の中で鉞を振り回し、激しく打ち合う。「獅子舞」は、雄獅子と雌獅子が別々に演技する。重厚な舞を特徴とする。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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