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【由来等】 1731(享保16)年の金田手永神社帳によると、正月15日の式次第が、「耕作の仕方、苗代表返、荒抓、田植の儀式を仕り、苗に石菖を植え、この石菖の葉にて米青くして村中に分ける」とあり、この頃から、奉祭は現在の形に近くなったと推察されている。御田植祭の歴史は数百年とされるが、田植舞の方はもともと早良郡脇山村(現在の福岡市早良区)にあった田植舞を、昭和3年に糸田小学校の生徒が体育の教材として習ったもので、翌4年の御田植祭で女子生徒によって奉納され、以後毎年恒例行事となった。
【活動の歴史】 第二次大戦後は婦人会の有志が演じ、昭和56年から小学校の女子生徒が演じていた。御田植祭は第二次大戦中も絶えることなく行われ、中断はない。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災
【舞・踊りの特徴】 田植祭の演技は、田圃のお祭りとして、大衆的で滑稽であり、客をわかせる。唄は古来の伝統的なものではなく、明治天皇の御製に節をつけたもの。田植舞の歌詞(明治天皇御歌)「早苗とる 賤が菅笠 いにしえの 手振りおぼえて なつかしきかな」。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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