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【由来等】 我鹿八幡神社は1608(慶長13)年に山頂から現在の麓に移転し、かつては郷社としての役割を果たしていた。神幸祭については、詳しい由来は定かでないが、疫病が流行したためではないかといわれている。1804(文化元)年の記録が残っている。古くは「大山祭」と呼ばれ、下赤地区の集落(油須原・川東・川西・合田・山浦など)が山笠・神輿を持ち寄っていたが、次第に各集落単位で行われるようになった。
【活動の歴史】 1804(文化元)年以降、戦時中も途絶えることなく行われて来たが、山笠については戦後人手不足のため消滅した。10年前に山笠保存会により、かつての3基のうち1基が復活し、現在に至っている。神幸祭を取り仕切っていたのは、かつては組内の当番組であったが、のち青年団の手に委ねられ、現在は山笠保存会・子供会が中心となっている。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、国家安泰
【舞・踊りの特徴】 気遣りの舞には3種あり、下り坂、登り坂、平坦な道、など、山笠の進行に応じて振りを変化させる。山笠の曳き手を指示し鼓舞する意味合いがある。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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