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【由来等】 等覚寺の集落が座する普智山は、古くから天台密教系の山岳修験道の山として知られている、英彦山を中心とする豊前六峰のひとつである。かつては多くの修験者がここに住み坊(家)を構えた。松会行事は、954(天暦8)年、谷之坊覚心によって始められたといわれており、修験者達のみが祭りに関与できるかつての厳密さを受け継ぎ、現在は修験者の末裔によって継承されている。
【活動の歴史】 954(天暦8)年、谷之坊覚心によって始められて以降、永和年間(1375〜1378)には普智山に存在する修験者は300坊を数えたと伝わり、この頃が最盛期であったと推定される。以来、等覚寺集落に住む修験者達によって、大戦中も断絶することなく代々継続されてきた。特に、松庭に立てた柱松に施主が登り幣を切るという「幣切り神事」は現在行われているのはここだけである。また、現在等覚寺は過疎化が進んでいるが、すでに他所に移住した人々も、松会行事の際には帰省し参加している。
【芸能を行う理由・目的】 天下泰平、国家安全、五穀豊穣
【舞・踊りの特徴】 子供達と男性2名による、「田打ち」「おとんぼし」「田植え」「孕み女」という一連の田植え行事と、山伏姿の男性による勇壮な鉞舞・薙刀舞とが混合している。「薙刀舞」はかつては9種行っていたが、舞の指導者も演者も減少しているため、現在は3種に簡略化されている。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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