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【由来等】 高木神社は出土品の瓦などから平安時代初期の建築とみられ、壮麗な神社であったと推定されている。そこの地に伝承される獅子舞については、詳細は不明である。言い伝えでは、明治時代には獅子舞が行なわれていたということだが、1884(明治17)年に「熊ヶ畑崩れ」と呼ばれる大災害が発生し、獅子舞は一時中断。その後、大正末期〜昭和初期に再興したといわれている。
【活動の歴史】 昭和に入り村の青年団により獅子舞は再興、受け継がれていたが、昭和50年頃から村の青年団員の激減により存続が危ぶまれた時期もあった。が、熊ヶ畑の有志により、昭和60年10月「熊ヶ畑獅子保存会」を発足させ、今日に至っている。昭和62年には熊ヶ畑小学校の生徒が発泡スチロールで雌雄の獅子頭を造り、霜月祭(11月)に舞った。これが平成4年まで続いたが、平成5年に子供用の獅子頭1対の寄贈を受け、現在はその獅子頭を使用して舞っている。敬老の日は公民館で子供獅子が舞う。大人用の獅子は昭和57年に新調した。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、無病息災、交通安全
【舞・踊りの特徴】 獅子の胴は長く大きい。後ろは両手を高く広げて差し出し、獅子を大きく見せている。舞いは獅子頭が上下に大きく、ひねりが多く、動作はゆっくりしており、重量感がある。家庭を訪問して小さな子の頭を噛む仕草をして獅子鳴らしを行う。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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