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【由来等】 1895(明治30)年以降の明治時代の終わり頃、扇谷区の荒巻三郎、荒巻亀松両氏が、隣接する上伊良原区の神楽を習得し、産土神・大山祗神社へ神楽を式納する扇谷神楽社を発足させたことが始まりとされている。日清戦争後の神威高揚と、林業景気に沸く村の弥栄を願って始められたようである。現在の社中発足以前にも、特別な祭事の折には神楽が奉納されることがあったようで、当地区を管轄した庄屋筋の家(永沼家)には、1862(文久2)年神殿改築に伴う上棟祝の神楽奉納の記録がある。(この時は、神職による神楽。隣接する築城町の岩戸見神社の社司らによって舞われた様子である。)又、湯立神楽に使われる鉄の大五徳があり、天保年間(1830〜1844)の刻銘がある。
【活動の歴史】 明治時代になって、一般人による現在の講社が発足した。第二次大戦前は、伊良原の神楽講とともに郡内の神社への出張奉納も行い、活動が盛んな時期もあった。戦後は式例の奉納を原則としつつ、活動は地元にとどまっていたが、昭和50年頃に過疎による社員の減少・高齢化が著しくなり、帆柱区や学校とも協力して社員の増員・若返りを図った。昭和55年開設された町営キャンプ場の開場イベントに披露を続けるなどの活動も行った。その後減員化が進み、平成13、14年には主要社員の事故などで一時休止するも、2004再興予定である。
【芸能を行う理由・目的】 天下泰平、五穀豊穣、国家安寧、氏子繁昌
【舞・踊りの特徴】 祓いや除魔の意を込めた動作を繰り返すことが、ひとつの特徴となっている。基本動作としては「順・逆・順」(舞台=神屋(こうや)を右・左・右に回る動作)「揚巻」(神前へ旋回しながら直線的に往復する動作)、「五方礼」(東、南、西、北、中央を祓い浄める所作)があり、これに「返閇(へんぱい)」「小神楽(こかぐら)」「注連切(しめきり)」などの小動作が加わって構成される。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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