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【由来等】 1747(延享4)年、当時の木山村(犀川町木山)が小倉祇園に奉納される田町楽を習得し、同村の生立八幡宮に奉納したことが始まりとされる。1862(文久2)年、この楽が山笠に変更されたため、これを知った下伊良原村が楽を譲り受け、以後高木神社に奉納されるようになったとされる。昭和49年には保存会が発足し、伝承体制が整えられている。
【活動の歴史】 子供楽であるため、第二次大戦中も途絶えることがなかった。
【芸能を行う理由・目的】 五穀豊穣、家内安全
【舞・踊りの特徴】 豊前系楽打ちの子供楽で、華麗な衣装を着用した雅やかな舞いが特徴である。なお、楽中で詠まれる楽歌は八番からなり、その歌詞は次のとおりである(以下抜粋)。一番「須磨の浦 若木の桜 散らで残るは磯訓松」。二番「治まるや 風も静かに豊国の 恵み久しき民の末々」。八番「呉竹の 代々を重ねし 言の葉の 道や積りて 浦浜の 真砂の数はつきるとも 絶えせぬものは神のめぐみよ」。
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| | | | | 民俗芸能では私たちが普段見ることのない道具や興味深い言い伝えなどがたくさんあります。 |
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